まず暗闇のなかに一人たたずむ孤児の口ずさむ歌のことを

非常に好きな本で、かつ非常に影響を受けた本の一冊、中沢新一『虹の理論』について。特にこの日記の題にもなっている一文を含む「作庭家の手記」に、心より感謝と敬意を表し、記念すべき一日目のブログに書きたいと思う。
ある日、この「作庭家の手記」を読んでいたときのことである。何とはなしに活字をたどるうち、どこか遠くから
ごごごご・・・
という地鳴りのような音が響いてきた。
なんだろう?と不思議に思いながら読み進むうち、ふと気づいたら、読んでいる文庫本のページのまさにその紙の上に、突如として
ある空間
が立ち上がっていた。
あの、グラフィックから3Dの映像が立ち上がってくるやつ
(なんていったっけ、焦点をずらすと、突然にどかんとそこにある別の映像が見えてくるやつ)
と似ている。
目にはおそらく見えていないのだと思う。
でもまるでそれは目に見えるようだった。
眉間のあたりがびりびりとした。
そこに現れた空間こそまさに中沢氏云うところの
「生きた空間」「庭(ば)」
というものだったのだと思う。
と、最近わかってきたのだけれど、
当時は何が起こったのかさっぱりわからなかった。
とにかくそこにいきなり目に見えない空間が立ち上がったこと。
そしてそこからはなんともいえない生き生きとした新鮮な風が、
自分に向かって吹いてくること。
そして驚いて凝視しているうち、その空間はすべてを包んで広がっており、自分はすでにそのなかに立ちつくしていることを発見する。
読み返すたびに起こるその不思議な感覚に私は毎回驚き、またそれがなんとも気持ちよくて、好きだった。
今も変わらず好きである。
ここ一年ほどずっと「コンテンツと振るまい」について考えている。(この「コンテンツと振るまい」についてはまた別のところで詳しく書こうと思う。)
「作庭家の手記」の前で私が立ち止まった理由もそこにあったのかもしれない。
簡単に言うと、「語られた内容がその内容自身を即その場で体現している」と言ったらいいかな。
「生きている空間の発生」について語られた言葉が「生きている空間」をそこに「発生」させる。
平たーーく言うならば、「言ってることとやってることがぴったり同じ」であるものに、私の身体はひきつけられるということみたいです。おう。

テリトリーは文字通り「縄張り」という意味を持っている。縄張りとは、その空間に対して動物なり人間なりが、ある権利を持っていることを主張するものだ。この意味では、テリトリーこそ権力の発生の場所であるという考えだって、じゅうぶんになりたつだろうけれど、動物や人間があの空間の広がりに大して自分の権利を主張することのなかには、権力や攻撃性の問題よりももっと本質的な「生きている空間の発生」の謎が、はっきりと表現されているのである。庭を「生きている空間の発生」の問題として考えるためには、まず暗闇のなかに一人たたずむ孤児が口ずさむ歌のことを、つぎに小鳥たちの歌のことを、そして小枝をくわえて求愛のポーズを示すスズメのことを思いおこしてみるべきだ、とフェリックス・ガタリが語っている。(『マシニックな無意識』)。そのどれもがカオスをけりたてて、そのなかからリズムと顔を誕生させるための決定的なしぐさをおこない、そこに生き生きとした律動とはれやかな願望をもったひとつの空間をつくりだそうとしているからである。

このちょっと前からじたばたがはじまって、
このあとの文章を読むに至っては毎回「きゃーきゃーきゃー!!!」
と叫んでいる。あまりにも心地よくて。


私は中沢氏の本によって、初めて「立体的な」読みものがあるのだということを知った。
それは、こんな感じ。
・・・
明るい海の方から影になった洞の入り口をそっと入る。上から射してくる静かな光と洞の奥から吹いてくるやわらかい風に導かれて洞の奥へと進み、すこし広い空間へと出ると、洞の内部は幾重にも重なった複雑な岩のカーテンで作られた迷路のようである。壁は高く、壁の切れたその上には空が見える。壁面に目を凝らすと、その壁はさらに細かな無数のひだでできているのがわかる。そっと触ってみる。とその壁は思いのほかさらりと乾燥している。この風のせいだろう。空間に通っているいくつもの道、壁と壁のすき間の向こうからはたえず新鮮な風が吹いており、壁と細かなひだのすべてをやさしくなでて通り抜けていく。目を閉じると、その風が私の身体の内部をも吹き抜けていくのが感じられる。
・・・
そんな風にして、私が、言葉のなかを、生きて、呼吸し、進んでいく。
本を閉じると、静かにその風はどこかへ散る。呼吸が深くなっているのに気づく。


今日のおもなできごとは、このブログをたちあげたことと、10度以下に冷えなくなった冷蔵庫に変わる新しい冷蔵庫がとどいたこと。
明日は学校に行ってすこし調べものをする。おもに今学期始まる授業について。