あっちゃー。

昨日のこと。思うところあって院の同級生にメールを書く。
ちょっとした連絡のつもりが長くなる。そして話がコアになりすぎる。
知り合って間もないのに、こんなこと話したらびっくりされちゃう。いやん。
と、後半3分の2を東京の旧友に送る。
残った3分の1を編集して、はじめの新しい友人用に短く仕立て直す。
つもりが、また長くなる。
日常生活の些事について書いてるはずが、
なぜか修論がらみの「陰陽論」の展開と平行している。で、気がつくとすっかりすり替わっている。
そして意に反してどんどん論が展開する。おかしいなあ。
ついには三手先くらいに量子力学がつながってしまうことに気づく。
あっちゃー。
実は、昨日の午前中には、自分の論と、ノーバート・ウィーナーというアメリカの数学者の提唱した「サイバネティックス」という学説が、つながってしまうことに気づいて「あっちゃー」と思っていたところだった。
やだなあ。
文系頭なのになあ。
東洋医学の話してただけなのにさ。どんどん理系になってしまう。
職業柄半分理系に足突っ込んでるとは言え、さ。
嗚呼。
そーですか。
ま、しょうがないか。陰陽ですしね。
陰極まりてすなわち陽に転ず。はあ。

生きているということは外界からの影響と外界に対する働きかけとの絶えざる流れのなかに参加している(中略)。われわれは過渡期的段階にあるにすぎない(中略)。知識とその自由な交換の絶えざる発展の中に参加していることを意味する。


メールをどうしよう。
また3分の2を切って先の旧友に送ろう。しくしく。
ああ、来年は、どこかの数学の講義に出よう。しくしくしく。


いやんなっちゃうなあ。
しかもさ「あっちゃー」ってさ、「YES」って意味なんだよね。ヒンズー語で。
ああ、こまったこまった。

そんなわけで来年はこの方の本↓とお友達になるんだぜ、あたし。
あっちゃー。

人間機械論―人間の人間的な利用

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