当たり前になるということ

金城一紀の「レヴォリューションNo.3」を読む。

レヴォリューション No.3

レヴォリューション No.3

おもしろいねえ。
「なんかすっきりする本貸してください。」とI田先生から借りたもの。

「遠くに行っちゃった人間はズルいね。残ったほうの人間に自分が悪いみたいに思わせる。でもね、踏みとどまってファイトする人間が本当のヒーローになれるのよ。人間、生きててナンボよ。」
僕は頷いて、サンキュー、と言った。

落ちこぼれ(?)高校生たちが繰り広げるプチ冒険譚なのだけど、ここにはあらゆるものが、普通に存在している。高校生、大人、同性愛者、在日外国人、片親の子、日雇い労働者、ハーフ、病人、看病するもの、敵、味方、死、健康、病気、愛、いさかい、笑い、涙、とにかく、いろいろ。そしてそれがすべて普通に。
ああ、なんかこんなの初めてだなあ。と思う。
この普通さが、自分にとってはうれしい普通なんだよなあと思いながら、これを「新鮮に」「うれしく」思うことに立ち止まりもする。
これを喜んでいるということは、これがまだ「普通」ではない時代だからだ。


期が熟すのを待って置いてあった「陰陽師」12巻、13巻を読む。号泣。
いやあ、泣いちゃうねえ。
今読んでよかったな。大事にとっておいてよかったな。
今はまだぜんぜん、感想も何も言えない。
13巻のあとがきにこうあった。

調和はすべてに行き渡ると、調和の意識すら消えてなくなる。それは隠れたる神の本質。

調和に気づかないほどの調和の実現を。
そのとき同時に思う。
気づかれていない調和に、感謝を。
今だってきっと私たちの気づかない、調和や、幸福や、恩恵のなかに、もうすでに私たちはいたりすると思うから。

陰陽師 (13) (Jets comics)

陰陽師 (13) (Jets comics)